石造りの梵鐘
本当に久しぶりの更新となってしまいました・・・。
実は本日、穴山町を歩き回っていました。そこで出会ったのが、石造りの梵鐘(ぼんしょう)です。穴山の重久地域の墓地の一角にひっそりとたたずんでおりました。
この鐘については、こんな言い伝えがあるそうです。
重久の福泉寺の万機和尚さんが、村人のためにと飯盛山に鐘楼を作ろうと計画して、托鉢をしてお金をためました。しかし、この時は丁度、天明の大飢饉ということなので、村の人から延期をしたらどうかと・・・。和尚さんは願いをかなえることができないことを残念に思って、釜無川に身を投げてしまいました。その後、明治時代に延期をうながした村人の子孫の方が、万機和尚さんを供養するために建てたということです。
和尚さんの気持ち、村人の気持ち、村人の子孫の気持ち、いずれも優しい気持ちでいっぱいです。そんな祖先のいる私の住むまち「韮崎」は素敵だと思う。←参加しています。。。。
しばらく、こんな感じでとても不定期な更新となってしまうかもしれないです・・・。
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コメント
きょうは更新された。
投稿: BlogPetのミュー | 2009年9月29日 (火) 14時22分
和尚さんの無念さは
計り知れないですね。
それでも供養の為に石の梵鐘の
供養塔を建立したのですね。
珍しい梵鐘を見させて頂きました。
投稿: せいパパ | 2009年9月30日 (水) 00時11分
こんばんは、oberisukuさん。
お久しぶりになってしまいました。
調べ物+PCのウイルス感染騒ぎがあって、
なんとなくブログから遠ざかってしまってました。
それにしても、優しくて心温まるお話ですね~。
最近、年波に涙腺が緩みがちでして。
ホロリときそうになっちゃいました。
投稿: 玄爺 | 2009年10月 4日 (日) 18時32分
★せいパパさんへ
本当にご無沙汰しておりまして・・・。和尚さんは無念だったでしょうね。その無念の気持ちを感じて祀られた石の鐘楼。なんともいえないですね。
★玄爺さんへ
玄爺さんも涙腺が緩い方なのですね。obeは緩すぎで…、この前も同僚の結婚式で両親の手紙を聞きながら泣いてしまいました。
投稿: oberisuku | 2009年11月 3日 (火) 17時44分
初めまして
25年ほど前に福泉寺跡(確か、公民館か老人憩の家だったような)に行き、石造り梵鐘をお参りしたのですが、もう一度行きたいと思っていました。幸いブログに出会いうれしい限りです。
現在の福泉寺跡の状況とか墓地の場所の番地とか訪ねるのに参考となる情報を教えていただければありがたいのですが。
投稿: 温故露 | 2015年9月 8日 (火) 17時16分