治山治水の歴史
昨日の大きな松の木の下にある大きな石碑の方を紹介したいと思います。とにかくどんなことが書かれているのかというと・・・。
明治三十九年七月洪水氾濫於峡北穂坂村
三之蔵澤山地崩壊而横流干塩川以来毎有
降雨土砂流出而其害遠及下條韮崎其困憊
不可名状於此縣廰認治水之必須大正三年
起工在崩壊所植芝栽樹以阻止之在横流●
積石築堰堤以疏通之其工亘四年告竣爾後
地形復活又無崩壊氾濫●於此乎沿川始得
安其堵矣時人徳之有志相謀建碑以傳後昆
大正八年四月山梨縣山林課長従五位勲五等中村三郎撰
明治39年7月に水害で穂坂村の三之蔵で山崩れが起きて、土砂が流れ出し下条村(藤井町)や韮崎町にまで被害が及んでしまったので、治水工事が必要となった。大正3年に崩壊したところには植栽し、石を積んで堰堤を作るなどの工事を4年の歳月をかけて行った結果、水害がなくなった。そのことを記念して、この石碑を建てた。
といった内容の記念碑のようです。
水は生きていくためには必要不可欠なものですが、人をも呑み込む水害をもたらすこともあります。先人たちは、水との共生をはかりながらいろいろな工夫をしたのだな~と、そんなことを感じさせる記念碑です。
人と水との関係を知ることのできる私の住むまち「韮崎」は素敵だと思う。←本年も参加してみようと思います。
高校生時代、漢文の授業は大の苦手・・・、もう少ししっかりと勉強しておけばよかったなと、こんな石碑に出会うと反省してしまいます・・・。
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コメント
こんにちは、oberisukuさん。
>漢文の授業は大の苦手・・・
いやいや、凄いと思いました。
玄爺なんて石に刻まれた文を眺めても全くなんのことやら(笑)
水との共生は人間にとって一番なんでしょうね~。
投稿: 玄爺 | 2009年2月18日 (水) 16時58分
★玄爺さんへ
ココまで長いと最初は読むのをやめようと思ったのですが、何が書いてあるのか気になってしまって・・・、かなり苦労しました(笑)。
水は必要だけど、暴れると大変なんですよね!
投稿: oberisuku | 2009年2月19日 (木) 22時17分