甘利山の伝承~赤牛伝説~
昨日の甘利山の伝説のことをもう一度調べてみました!
話しはこんなこと・・・
「昔、塩川の藤井平の下条村にお婆さんが住んでいたんだけど、ある時頭に角がはえてしまって、それが恥ずかしくて、高松山を越して、釜無川をこして、鷹ノ田に隠れたのだけど。。。さらに奥深いさわら池に赤牛となって住むようになったそうです。ある時、甘利山の麓の甘利さんという偉い領主の子どもがさわら池で赤牛に飲み込まれて行方不明になってしまったそうです。おこった領主はさわら池の赤牛を池から追い出しました。赤牛はその後、大笹池に逃げ込みましたが、最終的には能蔵池に住み着くようになったとさ。」
人を飲み込むような牛がいるわけないし、人の頭に角がはえるなんて・・・。
確かに、その通りなのです。でも、ちょっと調べてみるといろんなことが分かってきます。
鷹ノ田もさわら池も大笹池も標高千メートルという高いところに水が豊富にあるところなのです。
甘利山は山麓の生活に欠かせない水をいつも提供してくれています。
そして、昔はそんな池や山に雨乞いに行っていたようです。
甘利山のさわら池の伝説は、きっと甘利山が資源が豊富で大切な山だったことや、雨乞いの対象になるほどに神秘的な場所・・・、そんなことがあって、伝説が生まれたのではないでしょうか?
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ちょっとがんばって資料を作ってみましたが・・・、地元でないと分かりにくいですよね・・・。
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コメント
興味深い伝説ですね。
それにしても、赤牛の移動した能蔵池が気になります。
まだそこに居るのでしょうね!
obeさんの記事に触発され、夕方5時を過ぎてから、甘利山に電撃出陣しました。
富士山が見えていました!
投稿: スーパークラフト! | 2008年6月24日 (火) 23時20分
はじめまして。
いつも楽しく読ませていただいています。
さわら池の赤牛の話、子供のころ、山梨の民話を集めた本で読んだことがあります。さわら池から能蔵池めがけて飛び出した赤牛、ちょっとこわい、と思ったのをおもいだしました(挿絵がこわかったのかも)。
この赤牛のはなし、たしか、能蔵池編もあったような・・・。うろおぼえです。
これからもたのしみにしてますね。
投稿: ちえい | 2008年6月24日 (火) 23時33分
★スーパークラフトさんへ
能蔵池にはまた別の伝承がありまして、「碗貸し」のお話しだったと思います。
夕方に、甘利山出陣ですか~、昨日はなかなかよい天気だったので、素敵な風景と出会えたみたいですね。ブログを拝見しましたよ!
★ちえいさんへ
はじめてのコメントをありがとうございます。赤牛さん、きっと挿絵が恐ろしい牛のように書いてあったのでしょうね!この赤牛さん、雨の降らないときには、雨乞いのシンボルみたいになることが多いようですよ。
楽しく読んでいただけているようで、とてもうれしいです。これからもよろしくお願いいたします。
投稿: oberisuku | 2008年6月25日 (水) 21時09分