道しるべ
穴山で道しるべに出会いました。
今の道からはまったく見ることの出来ないところにひっそりと立っています。
村と村を結ぶ三叉路のような場所のようです。
迷わないように、大正12年に青年団が立てたようです。
「向テ 右穂足・・・ 左重久・・・」
これだけしっかりとした道しるべがあれば、間違えることはないですよね!
「向テ 右久保ヲ経・・・ 左境之澤新・・・」
歩いて見るには、この位の大きさが品があっていいな~。
今や忘れかけられている道しるべ、でもちゃんと役目を今でも果たしています。
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今や車社会、大きな大きな看板が道の脇には立っています。ドライバーの皆さんもあれだけ大きければ間違わないでしょうね、、、でも、あんなに大きくなくても・・・、もしかして看板がもう少し小さくなれば、看板を見るためにスピードの出しすぎとかなくなるんじゃないかな~。。。そんなことを考えてしまいました。
さて、明日でGWも終了です。GW中もおもてなしのためにお仕事だったみなさん(他のお仕事の方も)、ありがとうございました!
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コメント
昨日は、神の手ぶりを発揮されたようで。
土偶は男性が作ったのかなあ~。
投稿: nobucyan | 2008年5月 5日 (月) 21時05分
★nobucyanさんへ
久々のコメントをありがとうございます!
かなり真剣に製作に取り組みましたよ、周りの声も耳に入らないほど…。
安産祈願、豊饒祈願、いろんな説があるようですが、土偶作りはどちらなのでしょうね?釈迦堂で見たときに思ったのは、丁寧なつくりのものと、ちょっと手抜き?見たいなものとがあるんだな~と感じました♪答えになっていないですね…、スミマセン…。
投稿: oberisuku | 2008年5月 5日 (月) 21時16分
大正時代の道しるべですか
当時はこの様な石が
重要な道案内をしてくれたのですね。
今とは全然違いますね。
投稿: せいパパ | 2008年5月 5日 (月) 23時21分
大正から昭和にかけて各地で青年団が道標を立ててますね。新しい道ができると、つい忘れ去られがちですが、古い道を歩いてみるのもいいものですね。いいものに出会えましたね。
投稿: yottekurenke | 2008年5月 5日 (月) 23時46分
奥多摩を歩いたとき、道しるべは役に立ちました。でもこんなに歴史のあるものだと読めないですね(笑)。でもしっかり残っているのが流石です。
投稿: ヤス | 2008年5月 6日 (火) 01時03分
みなさんこんにちは!
★せいパパさんへ
歩いたり、馬や牛と一緒に出かけたりで、今とは交通手段が違うからなのでしょうね。歩いていれば十分気がつくし、迷いそうなところに立っているところが何ともいえない素敵な道しるべです♪
★yottekurenkeさんへ
各地で建立されたということは、ウロウロ歩き回っていれば、またどこかで出会えそうですね!楽しみです!!
★ヤスさんへ
確かに、地元向けの地名表記ですからね~、読めてもドコのこと?と思っちゃいますよね。oberisukuも「穂足」ってドコだっけ?なんて一瞬戸惑っちゃいましたから(笑)
投稿: oberisuku | 2008年5月 6日 (火) 16時59分