古道の脇の馬頭観音さん
穂坂の倭文神社へ歩いてお参りに行ったときに出会った馬頭観音さんたちです。
どれも明治時代の年号が刻まれていました。
今では車に乗れば坂道も苦ではないです。でも車のほとんどない時代、物を運んだりするには馬が大切な役割りを果たしてくれていたはずです。
歩いてみて感じたのですが、穂坂の道は意外ときついです。きっと荷物を運んでくれる馬は本当に大切にされていたのだと思います。
そういえば、穂坂には牧があったといわれています。そして見たことはありませんが、倭文神社の本殿には粘土で作られた馬が祀られているそうです。
道の片隅に馬と生きた先人達のココロを感じることのできる私の住むまち「韮崎」は素敵だと思う。
馬頭観音さんたちの先に続く道、曲がりくねっています。そんなところが趣があって落ち着きますよね。「ちょっとゆっくり歩いてみてね」そんなお誘いを受けているような気にもなませんか?
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コメント
毎日「これ、しらんじゃんけ!」など独り言を言いながら情報を拝見しています。昭和22年、新制韮崎中学校が誕生し校舎が無いので蔵前院の寺子屋教室で勉強しました。韮崎中学校で検索しても西中学校となって沿革に記録がなくなってしまいました。中学校卒業は現在の市役所の場所に建設された中学校校舎からでした。これもweb上での記録が見当たりませんでした。
これからも懐かしい情報よろしくお願いいたします。
投稿: 茨城のひろたん | 2008年1月10日 (木) 06時27分
「茨城のひろたん」さん、はじめまして。蔵前院さんの寺小屋で学ばれていたのですね。きっとその頃と比べると、良い意味でも悪い意味でもいろいろと変わったのかと思います。「以前、こんなところがあったけど、今はどうなっているの?」なんていうところがあれば教えてくださいね。出来る限り訪ねて見たいと思いますので。
あと、西中学校は新たな校舎ができて、旧校舎は取り壊されるようです。
つたない、ブログですがよろしくお願いいたします。
投稿: oberisuku | 2008年1月11日 (金) 20時10分
馬頭観音さん 路傍にひっそりと立っていることが多いので、車に乗っているとちょっと見落としてしまいますが、山梨の道端にはよく見かけますね。こういうところをゆっくり歩いて見ると、思いがけない発見もあります。でも、一箇所にこれほど並んでいるのはあまりないですね。荷物を運んだり、田を耕したりするのに馬は欠かせない存在だったので、この地域の先人の馬への感謝の気持ちが伝わってくるようです。小さな石造物ですが大切にしたいですね。
投稿: yottekurenke | 2008年2月 3日 (日) 01時30分
本当に大切にしていきたいです。車社会なので、とかく忘れ去られてしまいそうですが、やっぱり馬頭観音さんの祭られている風景っていいもんだと思います。
そういえば、明野歴史民俗資料館で「馬のいた風景」(http://kaya-net.jp/kawaraban/kawaraban_033.pdf)という展示会をしていましたよ。なかなか面白かったです。私の住むまちでもあんな展示会があればいいのにな~っと思っちゃいました!
投稿: oberisuku | 2008年2月 3日 (日) 11時32分