村の鎮守~御杉神社~
村は大きくなったり、隣村と一緒になったり、なくなってしまったり、いろいろな歴史をたどっていきます。それとともに神社も・・・。
猿除けの柵の向こうに階段が続いているのが見えたので、どこへ行くのだろうかと、猿になったつもりで柵の内側へと・・・。階段を登ると御杉神社が鎮座していました。ふもとに村があるのだから神社があっても当然だと思い、その時はあまり気にもかけず帰宅・・・。
調べてみると…。
この御杉神社は御崎稲荷神社と金山神社(大杉神社と明治11年に改名)が一緒になって、「御」と「杉」をとって御杉神社という名に昭和31年になったそうです。
そして金山神社は、武田氏がこの地域の裏山で金を採掘していたことから金山明神を祀ったという由来があったのです。思いかけず身近なところに風林火山の世界は広がっているものなのだと思いました。
何気なくある村の鎮守、調べてみれば色々なことが見えてくる。調べることが楽しくなるそんな私の住むまちは素敵だと思う。
今回はいつも使う『甲斐国志』じゃなくて、私の住むまちが昔刊行した『韮崎市誌』を参考にしてみました。ちょっと難しいけど知らなかったことがたくさん載っていて面白いかな。
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コメント
oberisukuさんこんばんは♪プチお久しぶりです☆御杉神社って清哲の徳島堰沿いにあったような??
名前を一字ずつ採ってなんて…あ、清哲もそうですよね?清哲4村の合成地名は当時画期的だったとか?
oberisuku さんなら詳しく知っているんじゃないかと常々思っていたんですが…
投稿: pocky | 2007年7月 2日 (月) 21時15分
pockyさんこんばんは!ちょくちょくお互いのブログではないところでもお会いしていますね。
清哲町も面白いですよね。清は青木の「青」と水上の「水(さんずい)」で、哲は折井の「折」と樋口の「口」を組み合わせた漢字でだそうですから。なんだか某番組の頭を柔らかくするクイズみたいですよね。当時の人たちが自分の村の名前を誇りに思っていたからなのでしょうね。
投稿: oberisuku | 2007年7月 2日 (月) 21時34分
oberisukuさん はじめまして
たまに寄らせていただいていましたが、
御杉神社のエピソードで思わず足をとめてしまいました。
去年何度も神社の前を通ってたもので、つい・・・
徳島堰を放浪しながら、柵のこっち側に猿の親子がいたのを良く覚えています(^_^)
また、寄らせていただきま~す
投稿: zohzoh | 2007年7月 2日 (月) 23時46分
zohzohさん、こちらこそはじめまして。そしてコメントをありがとうございます。徳島堰を旅していたのですね。お猿さんたちは頭がよくて、すでに猿柵のこちら側でもキャッキャッとおしゃべりしているところを最近よく見かけます。また、寄ってみて下さいね。
投稿: oberisuku | 2007年7月 3日 (火) 00時38分
かねがね教えて欲しいと思っていた神社が登場しました。
金山神社は、○○金山の関係だと思いますが、もともとは旧水上村にあったのですよね。合祀される前は、どこにあったのか、わかりますでしょうか?
投稿: nontan | 2007年7月 5日 (木) 22時22分
nontanさん、こんばんは。金山神社の旧社地ですよね。ちょっと調べてみますので…、お待ちくださいね。
投稿: oberisuku | 2007年7月 6日 (金) 17時46分